サンティアゴ巡礼 DAY3 サンタ・カタリーナ・デ・ソモサ~エル・アセボ 27.69㎞
それでも朝はやってくる
泊まったアルベルゲは2段ベットが4つならべてあるドミトリーで相変わらずの高齢者の方のいびきが夜中響いたが、巡礼の疲労もあって気がついたら寝入ってしまったようだった。朝になり、日が昇る前からスタートする巡礼者のパッキングの音で目が覚める。裏庭に干していた洗濯物を取り込み、パッキングを済ませた後、朝ごはんを食べに併設されているバルに向かった。
カフェコンレチェとチョコデニッシュを頼み、テーブルについて食べる。壁に備え付けの年季の入ったテレビからスペイン語の朝のニュースが流れていた。スペイン語はわからないが、日本の朝のニュースのような展開で、日本での出勤前にテレビでニュースを見ながら、朝食を食べる日常感を思い出す。
アルベルゲを出て、昨日村についたときは全く体力に余裕がなかったので、見てなかった村を巡礼路に戻る前に散策してみた。村役場のような建物とちいさな広場。滑り台の子供用の遊具がある空地。通りは 2 本のみで構成されていて、縦長の小さい村のようだ。
朝日が差し込むアルベルゲ。日中の気温は夏だが、早朝の陽の光が秋のよう。少し肌寒い。
村の通りを歩き始め、巡礼路に出て、今日も歩く。日が昇り切らないと気温は上がらず、手袋をすることにした。相変わらずの晴天続き!
イラゴ峠越えまでの道のり
朝方、道で出会う巡礼者は若い人が割合多く、また足が長く身長高めの欧米人ばかりだったので、1歩、1歩のスライドが大きい。ペースが速く、追いつけないし、トレッキングシューズが足に慣れていないので、自分の足も痛い。
自分のペースで歩くしかないので、ただただ歩く。アストルーガが出会ったブラジルの国旗を掲げているサイクリストや後続の巡礼者に抜かれっぱなし。
今日は新しい試みとして水筒に赤ワインを入れたのちょいちょい飲みながら、歩いてみる。1ユーロちょいの安いワインなので、それほど美味しくはないが、まぁ気分とする。
開けた大地を歩き続け、エル・ガンソという次の村を抜ける。ようやく日が照ってきて、気温も上がったので、ウインドブレーカーを脱ぐ。村を抜けて、また車道沿いの巡礼路を歩く。傾斜はだんだんとつき、峠を上っているよう。本日は難所の一つ、イラゴ峠越えなので、ばてないよう、自分のペースを守って歩く。先ほどのエル・ガンソという村の標高が 900m でイラゴ峠が 1500m なので、600m の高低差を歩いて登る必要がある。
昨日、パッキングを構成を変えてこれまでバックパックの右側に縦に入れていた寝袋を横にしてパッキングをしたら、重さが均一になって右肩が痛むことはなくなった。どうやら最適解だったようだ。このような簡単なことでも大きく変わるので、パッキングは大事であることに気づいた。
途中、山の中を入り、粛々と歩くと次の村、ラバナル・デ・カミーノに着いた。村は少し大きめで、宿場町といった感じ。坂にきれいな建物が立ち並んでいる。滞在によさそうだが、まだ今日の巡礼は始まったばかりなので、バルで休憩せずそのまま歩き続ける。
ここから山道は続き、傾斜のある尾根を歩いたりする。天気がいいのと少しお腹が減ったので、荷物を降ろし、座ってワインとチーズとフランスパンを食べる。
アストルーガで買ったゴーダチーズはオランダからの輸入で少し高めだったけど、味は塩気が効いていてとても美味しい。
しばらく歩くと水場があった。飲まないでおく。
あっさりと着いたフォンセバドンの村
ここを抜けると目の前が開けて、フォンセバドンの標識が!もっと厳しい峠越えと思っていたので、拍子抜けするほどの感覚だった。エル・ガンソから登ったり下ったりとあったが比較的緩やかに標高を上げていくような巡礼路だったため、それほどキツくはなかったというのが正直な感想。気づけばフォンセバドンというような感じ。
フォンセバドンは最近まで廃村になっていたと言われるが、ここ数年の巡礼者の増加により、新築の建物がいくつか建築中で、お店やアルベルゲも新しい。ここ近年の巡礼者の増加で景気がいいといったご様子。
通りのアルベルゲで祝杯のビールを一杯頼む。「ウーノ、セルベッサ ポルファボーレ」とアルベルゲの女性に頼むと、横にいたスペイン人の巡礼者が瓶ビールが飲みたいの?生ビールが飲みたいの?と生ビールのサーバーを指さす。生ビールがいいな。と言ったら。セルベッサは瓶ビールだが、生ビールはカーニャだよと教えてくれたので、カーニャと頼む。マドリードではセルベッサといえば、生中であったが、いつからかグラス入りの生ビールはカーニャと言うのが定番となってきた。サーバーから注がれたカーニャはキンキンに冷えていて、最高!実際にはカーニャは小さいグラスの生ビールらしいが、これ以降はカーニャと注文することで統一することにした。
太陽の光に輝いていてキレイな黄金色のカーニャ。ちょっとハイなのかも?w
フォンセバドンで楽しみにしていたジビエのお味は?
イラゴ峠はジビエが有名で食べなきゃ損的なことを本で読んでいたので、Google で検索して、村の入り口の「ラ・タベルナ・デ・ガイア」というお店に入る。店内は中世のころの内装がテーマらしく、壁は毛皮が張られている。期待があがる!ジビエらしき食べ物は、シカの煮込みがあったので、頼んでみた。ビールはすでに飲んでいたので、ボトルウォーターを頼む。この日は水の代わりにワインを水筒に入れていたので、兎に角、のどが渇き、水に飢えていた。
シカ肉とジャガイモとナスの煮込みとパン。
とても一人では食べきれない量だが、一口食べると、シカ肉がしょっぱい。とてつもなくしょっぱい。恐らく塩漬けで保存していたのだろうけど、しょっぱすぎてあり得ない。ジャガイモとナスは美味しいのだが、メインのシカ肉がしょっぱすぎる。パンとジャガイモで誤魔化すも量も2人前くらいだったので、厳しい食べ物だった。とはいえ、日本人のさがか、残せないというジレンマ。なんとか食べきってお店を出る。消化に大量のエネルギーを使いそう。
しばらくお店で休息を取った後、巡礼に戻る。
歩けば空腹になって、楽になるかもと楽観的に。
現在のフォンセバドンの村を抜けると尾根に昔の建物の名残の石造りの廃墟が目に入る。かつての廃村となったフォンセパドンのよう。風が通り抜ける尾根で遠くまで見通せて気持ちいい。自分が歩いてきた街を見ようとしたが、どこをどう歩いてきたのかわからなかった。
「Cruz de Ferro」(鉄の十字架)着
フォンセバドンの村を抜けてちょっとすると「Cruz de Ferro」(鉄の十字架)が見えてきた。十字架の下には石がたくさん積まれている。巡礼者が自分の土地の意思を運び、コの十字架の下に置くのが風習なのだそう。カミーノデサンチアゴ巡礼のアプリによるとサンタ・カタリーナ・デ・ソモサの手前の台地でここに置く用の石を拾っていくと良いとアドバイスがあった。んが、拾ってきてない。。。w そんな重量物搭載できないw
近くに休憩所のような建物と駐車場があったが、時季外れか休憩所は閉まっていて、駐車場には一台も車は止まっていなくガランとしていた。太陽は正中を過ぎ、暑さは増す一方で、Tシャツになって歩き始めた。
またワインを水代わりにすることは無謀だと身をもって知ることになった。アルコールなので飲めば飲むほど喉が渇き、体が脱水状態になる・・
ここから氷河時代を経たような削られた固い岩盤のような道が続く。
尾根伝いにひたすら歩いてようやくマンハリンに到着。アップダウンが多いせいか、暑さのせいか、距離の割に到達するのに時間がかかった。ここはテンプル騎士団の儀式をしているトーマスさんという管理人がいる有名なアルベルゲなのだが、まだまだ距離を稼がないといけないということもあり、さらに歩みを進めることに。
マンハリンを過ぎると放牧地帯を横目に尾根伝いを歩く道です。景色がいい!風も気持ちよい。ワインを飲み切って荷物を軽くしたい。。。
次の村、エル・アセボまでガレ場のアップダウンが繰り返し、体力的にもキツイ感じ。遠くまで見渡せるも次の村が見えないので精神的にもキツイ感じ。反対側から登ってくるスペイン人のおじいさんに会った。お互いに「ブエン・カミーノ」とあいさつする。折り返し巡礼だろうか。
巡礼路は時折、車道とクロスする。タクシーの電話番号のステッカーが所狭しと貼ってある。きつかったら、タクシーに電話してピックアップしてもらえる仕組み。英語が話せるドライバーならいいが、スペイン語のみだったら、電話しても話が通じないだろうなと思いながら、歩き続ける。
ようやく日が暮れる前にエル・アセボの村に到着
ようやくエル・アセボの村に着く。足はガクガクでギリギリの状態。腿があがらない。この村には「ドナティーボ」(寄付制)のアルベルゲがあると調べておいたので、初めての「ドナティーボ」のアルベルゲに宿泊と意気込んで、アプリのマップ通りに行くも、まったく見当たらない。通りを歩いているほかの巡礼者らしき人に聞いたら、親切にもそのアルベルゲの前まで連れて行ってくれた。
中に入って、チェックインを済ませる。管理人はボランティアで来ているらしく、普段はパンプローナと言う北の街で警察官の仕事をしているとのこと。もう一人のボランティアの人は友達で消防士の仕事をしているらしい。19時にみんなで夕日を見に行こうというので、その前にダッシュでバルに行き、今日のカーニャを飲む。つまみには初めてオリーブが出た。時間がなかったので、カーニャを一気飲みし、アルベルゲに戻る。ビーチサンダルに履き替えたので、足が恐ろしく身軽。
夕日が沈む。眼下にポンフェラーダの街が見える。
ドナティーボのアルベルゲではいろいろな国の人と出会った
夕食は多国籍(フランス人、スペイン人、インド系オーストリア人、アメリカ人、イタリア人)なメンバーで会話を楽しんだ。フランス人はすでにサンジャン・ピエド・ボーからサンチアゴ・デ・コンポステーラに巡礼が終わっており、帰りは逆ルートで巡礼するとのこと。インド系オーストリア人のおばあちゃんは昨晩は野外で寝袋で寝たと言っており、小柄の体から想像できないほど、どんだけ強靭なんだと思わされた。夜は 8℃は切ってると思う。
寄付とは思えないほどの料理が出て、美味しくいただくことができた。しかしお昼にシカ肉の超ボリュームセットを食べていたこともあり、最後に出た豆のスープは食べきれない状態に。お腹も胸もいっぱいに。本当にお腹の許容量を超えた感じ。
フランス人のおばちゃんがこれを水に溶いて飲めと言ってくれたので、フランスの製薬会社の粉薬を飲んだところ、コレがびっくりするほどすごいお腹が楽になった。メルシー、おばちゃん!
食後にアルベルゲのボランティアの人が手品を披露し、場を和ませる。
食後はみんなで皿を洗い、片づけをする。アルベルゲ内は新築に近く、トイレもシャワールームもキレイで二階のベッドも清掃されており、「ドナティーボ」なのにハイレベルなアルベルゲだった。寄付ボックスにお金を入れて二階のドミトリーに行き、就寝した。残念ながら爆音のいびきがドミトリー内に響き渡ったので、耳栓はしていうものの熟睡はできなかった。また日に日に巡礼に体が慣れていっているのか初日のようにイビキの中でも爆睡というのはもはやできず、残念ながらそのような芸当は最初のみ有効なビギナーズラックのようなものらしい。
本日の巡礼
- 巡礼時間: 9時間33分
- 巡礼の開始と終了時間: 09:07 ‐ 18:40
- 歩行距離: 27.69㎞
- 天気: 晴
- 気温: 不明
- 宿泊施設: ALBERGUE PALLOQUIAR | 寄付
アップダウンが多かったのと、イラゴ峠という標高高い峠を越えた後、尾根伝いに上り下りを繰り返すルートで後半ガレ場等の歩きにくい道があったため、距離は稼げない結果となった。寄付制のアルベルゲはとてもキレイでベット数もたくさんあり、他の巡礼者と交流もしやすかったので、オススメです。
コメント