DAY2 サンマルティン・デ・カミーノ~サンタ・カタリーナ・デ・ソモサ 31.9 ㎞
2日目の巡礼、朝焼けが美しかった
アルベルゲのドミトリー内で聞こえてくるパッキングの音で目が覚める。すでに数人の巡礼者がパッキングでドミトリー内で蠢いている。昨日イビキを爆音でかけていたフランス人のおじさん巡礼者が使っているヘッドライトは赤点灯するらしく、赤色の光のため、光量は抑えつつも手元はしっかりと見えるくらいの必要な明かりとして機能しており、寝ている人を起こさなくて済む便利で優れもののアイテムのようだ。
今回自分が買ってきたヘッドライトはその機能はないが、次回巡礼するなら、配慮できるこのアイテムは装備したい一品と思わせた。寝袋を畳んで寝袋パックに収納する。他の荷物をなるべく音をたてないようにパッキングを済ませようと思ったが、まだ寝ている巡礼者もそこそこいたので、荷物を持ってダイニングルームへ移動する。
すでに数人の巡礼者がダイニングにおり、朝食セットを前日頼んでいる人はアルベルゲが用意したセットを食べている。朝ごはんは昨日購入のフランスパンとチョリソーを口に入れた。
ダイニングルームで足にワセリンを塗って靴下を二重に履く、準備しているうちに幾人かの巡礼者が出発していった。自分もアルベルゲを出る。時刻は 7:50。外は真っ暗で、ヘッドライトが早速役に立ちそうだ。気温は低く肌寒い。
車道を渡り、巡礼路を歩き始める。日が遠くで昇り始めたのか、朝焼けになってきた。朝の光景は空気がキレイでとても美しかった。
こんなきれいな朝焼けを見れるのだったら、巡礼も悪くないなと思い始めてきた。
歩いているうちに体内の熱を発し、寒さは気にならなくなった。同じくらいの気温のヨーロッパのドイツに観光で旅行したことがあるが、歩き続けるのと、立ち止まったりして観光しているのでは、気温の感じ方は大きく違い、歩き続けることである程度の寒さは緩和できるものと知った。
しばらく歩くとカタツムリだらけの道に出た。といっても道にいるわけではなく、道のわきのとげがある植物にびっしりとついている。謎な生態。なぜここの場所だけ密集しているのだろうか。巡礼中、カタツムリを見かけたのは、後にも先にもこのときだけだった。
巡礼路は国道120号線沿いの一本道で、砂地の道なので、アスファルトより幾分歩きやすい。幾人かの巡礼者がたまに見えてきて追い抜いたり、後ろからハイペースの人に追い抜かれたり。それぞれがそれぞれのペースで歩いている。この時期は年配の人が多いので、比較的スローぺースで歩いている人が多い。
昨日、あれだけ悲鳴を上げていた足は、一晩寝たら嘘みたいにケロッと治っていた。荷物は相変わらず、肩に食い込み痛い。巡礼路から脇に入った小さな橋で荷物をおろして、日本で買ったアルフォートを食べ、軽く休憩をした後再度歩き出す。巡礼路は車道を逸れて農家の納屋がある砂利道へと続く、納屋がいくつか続いているのが見えたら、次の街、ホスピタル・デ・オルビゴが見えてきた。
雄大な橋がある オスピタル・デ・オルビゴ
昨日の自分にはとてもこれ以上歩けないと思ってサン・マルティンに宿泊したのだが、サンマルティンから意外に近かったんだなと思う。まぁ体力回復したからなんだけど。
この街は名前の通り、昔は聖ヨハネ騎士団のホスピタルがあったらしく、街の名前の由来になっている。少しすると街へと続く雄大な橋が見えてきた。ちなみに川の名前がオルビゴ川なので、オスピタル・デ・オルビゴ。標高は 823m。
1434 年の聖なるヤコブの年。この橋の上で一人の騎士が馬上槍試合を 1 ヶ月連勝して 300 本の槍をへし折ったと言われる。これは事前にガイドを読んでおいた内容で、橋にあった説明文は英語はなくスペイン語のみだったので、残念ながら詳細な内容はまったくわからなかった。正直、英語表記の情報は現地ではめっきり減るので、スペイン語を理解できる人は別として、巡礼にはあらかじめ情報を入れておくか、詳細な情報が載っているガイドブックを持参することをお勧めする。
オスピタル・デ・オルビゴはこじんまりとしているが、アルベルゲとレストラン、バーが数軒あり、滞在に良さげな街のようだ。昨日、滞在できたらよかったなと思いながら、アルベルゲのベンチに座っている巡礼者たちの顔をチラ見する。昨日出会った韓国人の Oh 君はオスピタル・デ・オルビゴに停まると言っていたが、すでに出発したようで会うことはできなかった。
そのまま街を縦断すると街の終わりに巡礼の分かれ道に出た。左の国道120号線沿いの道か、尾根線に沿っていくつかの集落を抜ける道。そばにあった石のベンチに腰掛け、靴紐を締め直しながら、思案した結果、国道沿いの道のほうが歩く距離は少なくなりそうだが昨日、風景は面白くなく散々退屈に感じていたので、国道を外れた尾根線に沿う道へ進むことにした。
分岐点のベンチに座っていると比較的、右の道を選択する巡礼者が少し多い気がする。休憩を取ったら、また歩き始めた。
両脇がトウモロコシ畑の間のまっすぐなダート道をひたすら歩く。多数の巡礼者に歩き固められたせいか固く感じる。
空は雲一つない晴天。誰もいない。静かで心地よい。少しづつだが 「歩く」ということに慣れてきたようだ。
しばらく歩くとポプラの若木の林が目に入った。風が心地よい。道はほとんどまっすぐ。
畑と林以外に何もない景色が続いていたが、向こうに建物が見えてきた。
村の名前はビジャレス・デ・オルビゴ。こじんまりとした村でスケール感がかわいい村だった。月曜の午前のせいか、村には人気はなかった。右手のアルベルゲの壁画が街の景観に一味加える。
真っ青な晴天の中を一機の飛行機が上空を通過していきました。こじんまりとした村で迷うこともないと思うが、巡礼路の案内のタイルが正しい道へと導いてくれる。ありがたい。
村を抜けると小学校らしき建物が見えた。さらに歩いて丘を登ると水場を発見。水はペットボトルで買ったのがまだまだあったので、結局給水はしなかった。
道は完全に傾斜を含んだダート道になり、また太陽が昇り、気温が高くなって、歩くのが徐々に厳しくなっていく。呼吸を整え、ペースを守って歩くよう心がけた。
集めた石で巡礼の道を示す印。迷わず進めということなのだろうか。巡礼路にはこういった石を使った矢印やメッセージが残されていて、先人も歩いたんだなと思うと一人ではない気がして、自然と励まされる。
サンティバニェス・デ・バルデイグレシアスというさらに小さな村に入った。バルが一軒あって、かなり迷ったが、まだそこまで疲れていないので、そのまま歩き続けることにした。
がこの先、アストルーガまで村や街はなかったので、一息入れても良かったのかもしれない。村を抜けると牛舎がならんでいる酪農家の家の前を歩いていく。
仔牛専用のポッドがいくつかあり、全部で 5 頭の仔牛がいた。かわいい奴め!
尾根伝いの傾斜のあるダート道は暑さと相まって、少々キツイ
この牛舎を抜けると登りの傾斜のある道が続く。前を歩く登山用ステッキを持った小柄な若い女性を追い抜く。巡礼中何人かのステッキを持参した巡礼者とすれ違い、ステッキを買ったら歩くことがだいぶ楽そうで、購入しようか迷う。次の街、アストルーガはそこそこ大きい街なので、登山グッズ屋があったら、ステッキとテバのようなスポーツサンダルを買おうと決心する。トレッキングシューズが少し痛いのととにかく重いので、巡礼をするのに負担を感じているからだ。
この牛舎あたりから先、ずっとハエに付きまとわれて、非常にストレスがかかる巡礼となった。おそらく乾燥地帯なので、水分を狙っているのだろうが、顔のあたりをまとわりついてうざい。しかもタオルを振り回してもずっとついてくる。ハエにここまでしつこくまとわりつかれるのは初めてだった。他の巡礼者も同様にまとわりつかれている。
他の巡礼者を追い抜いて、「オラ」とあいさつしあう。スペインはあいさつが短いからすごい楽だ。2 音節だから日本語的に「ちはっ」って感じだろうか。木立がほとんどないので、日差しを遮るものがなく、直接、日射を受けながら、歩き続ける。
いくつかの丘を越えて見晴らしのいい場所があったので、フランスパンとチョリソーで軽めのランチにする。はるか向こうの山の尾根沿いに白い風力発電用の風車がたくさん見える。クリーンエネルギーと言われているがどのくらい供給しているのだろうか。先ほど追い抜いたスペイン人の巡礼者の男女が目の前を通っていく。「ブエンカミーノ」とあいさつをしあう。
二人組のチャリダーも通り過ぎて行った。自転車で巡礼しているのだろうか。ここからは下り坂で羨ましい。再び歩き始めると開けた空間に出てきた。持ってきた携帯ドローンを飛ばすのにいい場所に思えるが、巡礼開始 2 日目で少しでも距離を稼ぎたいという気分に負けてそのまま歩き続ける。
峠は終わったと思っていたのにまたしても登り坂。登り切るとひたすら平坦な台地にでた。ここでは緑の小屋でドリンクを提供している休憩所らしきものを見た。あまりにも街から離れた場所だったので、高そうという先入観で避けたのだが、あとで人のブログを読むとどうも寄付制で巡礼者には有名な休憩所だったらしい。
そのまま固い砂利道の台地をひたすら歩く、木陰はなく、10 月と思えないほど日差しはキツく、足は痛く、重い。荷物も相変わらず右側が重い。ただただ漫然と歩みを進めると目の前に十字架が現れた。サント・オリビオの十字架で下に石がたくさん置かれている。この丘からアストルーガの街が一望できる。もう手が届きそうな距離!疲れが飛ぶ。
石のベンチに腰掛け、トレッキングシューズを脱ぎ、水を飲んで、アルフォートを 1 パッケージ食べる。うまー! チョコレートの糖分が体を満たす。1.5リットルのペットボトルに入っていた水はついになくなったが、アストルーガの街が目の前に見えるし、街のスーパーメルカド(スーパーマーケット)で調達しようと思った。
景色が良いせいかチャリダーのポイントになっているのようでスポーツ車の自転車でサイクルジャージを着ている数人がいた。街並みがキレイで自転車で走れたら、気持ちよさそう。相変わらず雲一つない晴天。天気に恵まれている。
いざ、アストルーガへ!!
歩き始めるとアストルーガの街は見えていたので、近そうに思っていたが、コレが遠かった。
水がない自分をまるで投影しているような銅像。。。
街に入る前の集落にバルがあったが、巡礼者でいっぱいだったので、歩き続けることにした。歩いても歩いても街にはたどり着かない。あぜ道を歩きつづけると急に車道に抜けて線路と線路を渡るための歩道橋が見えた。
何の目的でこのようなくねくねしたつづら折りの高架橋を作ったのかわからないが、巡礼者泣かせである。まぁおかげで印象に残るのだけど。
ようやくアストルーガの町の入り口。レオン以来の大きな町。巡礼路の道を見ると遠回りに見えたので、一直線にカテドラルに行けそうな方向を目指し、車道を選んで歩きだす。足の痛みを、水分補給とお腹がだいぶ空いているので、背に腹は代えられない気持ち。
アストルーガは丘に建つ街のようで、選んだ車道の歩道を歩くと急な坂道だった。街の中心につくも残念ながらシエスタの時間でレストランも締まっている様子。本当に開いているお店がない。。。
悲報、ガウディが設計したアストルーガの司教館もシエスタ中~
この司教館は当初、ガウディが設計して建築中だったらしいが、依頼主の司教が亡くなった後、議会との意見の相違で、ガウディが途中で辞めたという話が残っている。結局、別の建築家によりこの司教館は完成した。
建物の入り口の曲線が美しい。
シエスタの時間のため、司教館も残念ながら閉まっていた。さすがに開館まで 2 時間も待てないので、あきらめることにした。
シエスタ中に開いているレストランが見つからなかったので、目に入ったバルに入って、「セルベッサ」を注文する。ついでにケースに入っていたトルティージャ(スペインオムレツ)も頼む。
セルベッサは本当に生き返る!カウンターに腰掛け、早速追加のガソリン。 2 杯目のセルベッサを頼む。目の前のテレビでクイズ番組をやっているようだが、スタジオのデコレーションがまるで昭和の日本のクイズ番組みたいでレトロに感じる。となりのスペイン人のおじさんが真剣にクイズ番組を見ている。
自らの体にガソリン(セルベッサ)の給油は終わったので、少し休んでから歩き始める。この街はガウディ設計の司教館とカテドラルなど見どころがいっぱいあるが、やはり距離を稼ぎたいので、進むことにする。昨晩泊まったアルベルゲで会った何度も巡礼している香港系アメリカ人はアストルーガに宿泊して観光をしないのはもったいないと語っていたがギリギリの日程で来ている以上しょうがない。
目的のスポーツサンダルとステッキのため、スポーツショップを探すも、意外にしなびた街のようで、全く見当たらない。考えてみたら本気で探そうとしていたら、 Google map で検索しているわけだから、この頃の自分はまだトレッキングシューズによる疲労は深刻な状況になっていなかったのだろうと思う。また街の入り方もカテドラルを目指してしまったため、お店があるスペイン広場を通らず進んでしまったよう。適当に西に向かっていたつもりが、気づいたら街を出てしまったようだ。右手に大きめのスーパーメルカドがあったので、フランスパン、水、ロンガニーサ(ソーセージのスライス)チーズとワインを買う。チーズは種類がいっぱいあって悩んだがゴーダチーズにすることにした。ワインはたった 1 ユーロで明日から水の代わりに飲んでやろうとほくそ笑む。
スーパーメルカドを出て、給水ボトルに水の詰め替えをし、西に歩みを進める。道路を挟んで左手には高い塀が続き、ミリタリー色の車両が並んでいる。建物が学校ぽいが軍の施設だろうか。しばらく歩いても巡礼の印が全くないので、不安に思い、スマートフォンのGoogle mapを起動すると、巡礼路から思いっきり外れていることを確認。がっかりしながら来た道を 1 ㎞ほど戻る。戻りたくないが、戻らないと巡礼は続かない。
巡礼の基本、ホタテの印を追うこと。
アストルーガからサンタ・カタリーナ・デ・ソモサまで
アストルーガは丘の上に立つ街なので、ここから急な下り坂。チャリダー軍団に抜かされる。ここ、自転車で走ったら気持ちよさそう。左手に私営っぽいアルベルゲを見つけるも、そこまで惹かれなかったので、歩き続けることに。
アスファルトの車道はトレッキングシューズで歩くことに向いていない。車道脇に砂地の巡礼路が現れたので、そちらに道を変える。ひたすらまっすぐな道。途中、高速道路が交差している地点で高架橋を歩く。巡礼路は白く硬めの砂地。
巡礼の看板が左の脇道を示唆している。脇道に入ると村に入った。ビール会社 mahou の看板を見つけるもバルは見当たらず。その看板にはサンティアーゴ・デ・コンポステーラまであと 245 ㎞と書いてあった。レオンからサンティアーゴ・デ・コンポステーラまで 311 ㎞ なので 2 日で 66 ㎞ 歩いたことになるが、計算上あり得ない。恐らくこの看板が間違っているのだろう。人騒がせな。。
期待を抱かせたビール会社 mahou の看板
新築らしきかなりキレイ目のアルベルゲを村の終わりに見つけるも高そうなのと、1 日 30 ㎞歩くというペースを確保したいという思いで断腸の思いでさらに歩き続けることにした。この村からは二手に道が分かれていて国道沿いに寄り道をして進むこともできるがまっすぐと荒野を貫く大地の道を進むことにした。
ここからが木陰がないので日差しを浴びながらの巡礼。体内の水分が蒸発しているよう。電線沿いに作られた一本道、まったく先に建物らしきものは見えず。引き返すわけにもいかず。歩き続ける。
上を見ると電線に 1 足の靴が器用にかかっていた。これを履いていた巡礼者はどうした?てかどうやってひっかけたの?w
奇跡?!
ここは本当に 1 本道で人気は全くない荒野。巡礼者以外ほぼ用はないこの道に明らかに巡礼者ではない手ぶらで太った体格の人が離れた場所に車を停車させ、後を付けてくるように歩いてきた。不審に感じ、自撮り棒を最大に延ばして振り回していたら、またもと来た道を戻っていった。勘違いかもしれないけど、あまりにも人気がない荒野のため警戒をした。
木陰がないので、涼むことはできず。時折立ち止まって水を口に含む。足元にあった巡礼路のメッセージ付きの置石に励まされる。
Enjoy your way, Where Are you someone などなど。マジック持参もいいかも?
先が見えぬ道を歩き続けると国道にぶち当たり、国道を渡り切るとまた登り坂になった。先ほどの小さな村のアルベルゲで泊まらなかったことを後悔し始めるも、村から歩いてきた荒野の道はそこそこ距離があったので、もはや戻ることもできず、進むのみ。そのまま歩き続けること 20 分くらい。道の向こうに教会の鐘楼が見えてきた。
次の村、サンタ・カタリーナ・デ・ソモサの入り口。時刻はちょうど 18:00。日も暮れ始め、気温も下がり、丘の上に立つこの村は風が少し強い。バテバテだったので、村の入り口のエル・カミナンテホステルに入る。入り口のテラスでは巡礼者がビールを飲んでいる。1 泊 5 ユーロ。安い!決めた。予定としていた 30 ㎞ 超えの巡礼も果たし満足。
ホステルのおじさんに話すとドミトリーとシャワールームを案内してくれる。そこそこキレイ。なんたって 5 ユーロだ。宿泊の旨を伝え、パスポートを渡してチェックイン。証明書にスタンプを押してもらう。熱めのシャワーを浴びて、日が沈みかけていたので、洗濯をしにバックヤードにいくとそこは。。。。
たどり着いた先のアルベルゲの裏はネコ天国!
少し寒いせいか猫たちは納屋の 2 階に身を寄せ合って、くつろいでいた。お休み中のため、残念ながらモフれず。猫好きにはおすすめなアルベルゲです!w
洗濯ものを干しているとフランス人のおばさんが風が強いから洗濯ばさみできつめに留めたほうがいいとアドバイスをくれる。このおばさんは 10 月の巡礼者が少ない時期の巡礼中、途上で何度か会うこと数少ない巡礼者の内の一人になる。
このアルベルゲはバルも兼ねているので、セルベッサを頼む。パスタを頼んだが、やめたほうが良かったようだw
世の中に「アルデンテ」という言葉が消え去ったかのような、柔らかい麺。イタリア人が食べたら発狂するんじゃないかと言うくらいの柔らかさ。フィリピンで食べるパスタと同程度の柔らかさ。スペインのパスタってこんな感じなのかな。
お腹が空いていたのでリベンジにフレンチフライを頼んだら、こちらは剥きたての生のポテトを揚げたもので、コレがめちゃくちゃ美味しかった。日本ではこれほどのフレンチフライって食べれないんじゃないかなってゆうくらい。素材がいいとホントに料理は凝らなくていいんだなとしみじみ思う。セルベッサをもう一杯追加する。
足の裏もだいぶ痛く、ドミトリーでマッサージをした。明日は難関のイラゴ峠越えがあるため、早めに眠ることにした。
- 巡礼時間: 10 時間
- 巡礼開始と終了時刻: 07:50 – 18:45
- 歩行距離: 31.9km
- 天気: 晴
- 気温: 10 – 不明℃
- 飲み物: 🍺🍺🍺🍺
- 宿泊施設: Albergue El Caminante | 5 ユーロ
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